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ニューヨーク駐在員報告
 【 2002年5月号 】



  〜 「IT不況下の米国IT業界のリストラに向けた取組み」 〜

JEITAニューヨーク駐在 荒 田  良 平


はじめに

 今回は、IT不況下の米国IT業界のリストラに向けた取組みについて取り上げる。 「週刊エコノミスト」誌3月5日号にも寄稿したので御覧になった方もいらっしゃるかもしれないが、米国のIT関連大手各社は引き続き世界的なIT不況の中で売り上げの低迷に苦しんでいるものの、2001年に大幅な人員削減や在庫圧縮などを進め、IT投資の回復を待って反転攻勢に出る態勢を着々と整えつつある。
 本稿では、米国IT関連大手各社の直近の四半期決算などから米国IT業界の回復状況を概観するとともに、ケース・スタディとして、デル、HP及びIBMの事業再構築(「リストラ」というと日本では主に雇用削減の意味に使われるが)に向けた取組みを取り上げてみたい。
 なお、本稿は、去る2月末に「週刊エコノミスト」誌に投稿した原稿をアップデートしたものをベースとしており、またケース・スタディはニール・マイル社に依頼している。


1.米国のIT関連大手各社の決算動向

 最初に、米国IT業界の現状を見てみよう。米国のIT関連大手各社が発表した直近の四半期決算によると、昨年10月にウィンドウズXPを発売したマイクロソフトを除き、各社とも引き続き世界的なIT不況の中で売り上げの低迷に苦しんでいる。(表1、図1) 特に、パーソナル・コンピュータやネットワーク関連機器、半導体などのハードウェア関連の落ち込みは大きく、昨年秋頃には各社ともハードウェア関連事業部門は概ね対前年同期比20〜30%の落ち込みとなっていた。利幅は薄いが比較的安定しているサービス事業の比率の高い企業が、かろうじて落ち込み幅を小幅にとどめていたと言うことができるであろう。
 ただし、米国市場に関する限り、対前年同期比での売上の大幅な落ち込みは、2000年秋が「IT関連株価バブル」を背景とした容易な資金調達に基づく「IT投資バブル」のピークであったことに起因するものであり、いわばある程度不可避なものであると言うことができる。こうした観点からすれば、「これ以上悪くなることはないだろう」という見方もできるであろう。
 事実、直近の米国商務省のGDP統計によると、米国のIT関連の設備投資は、2002年第1四半期に5四半期振りに増加に転じ、またハードウェアだけについて見ると2001年第4四半期以降対前期比でプラスとなった。(表2) しかし、対前年同期比で見ると、IT投資全体でマイナス11%、ハードウェアでマイナス19%と依然として大幅なマイナスとなっており、決して先行きを楽観できる状況ではない。


表1 米国のIT業界各社の直近の四半期決算
企業名 売上高(百万ドル) 営業利益(百万ドル) 純利益(百万ドル)
  四半期   前年同期比   前年同期比   前年同期比
IBM 1-3月期 18,551 △12% - - 1,192 △32%
HP 11-1月期 11,383 △8% 713 △24% 484 243%
Dell 11-1月期 8,061 △7% 594 1% 456 5%
Compaq 1-3月期 7,728 △16% 196 △36% 44 - (△131)
Cisco 11-1月期 4,816 △29% 743 △53% 660 △24%
Sun 1-3月期 3,107 △24% △152 △159% △37 △127%
Intel 1-3月期 6,781 2% 1,426 10% 936 93%
Microsoft 1-3月期 7,245 13% 3,298 10% 2,738 12%
(注)営業利益にはリストラ等の特殊要因を含まない。
  Compaqの純利益の前年同期は131百万ドルの損失。
(出展: 各社発表資料)


図1 売上高前年同期比の推移(2001年〜)
1
(注)HP、Dell、Ciscoについては決算期は2-4月期、5-7月期、8-10月期、11-1月期。
(出展: 各社発表資料)



表2 米国のIT関連の民間設備投資
  2000 2001 2002
  2Q 3Q 4Q 1Q 2Q 3Q 4Q 1Q
IT投資 461.6 475.1 486.5 460.4 431.1 412.9 404.2 408.1
 うちハードウェア 109.1 113.3 114.0 102.9 89.6 78.5 79.8 83.4
(注)金額は季節調整済み年換算額の名目ドル値。(単位:10億ドル)
(出展: 商務省経済分析局)


 一方、企業別に見ると、各社がIT不況の影響を一様に被っているわけではない。例えば、調査会社IDCが4月17日に公表した2001年第4四半期のパーソナル・コンピュータの米国市場における出荷動向(表3)によると、米国市場全体で出荷台数が対前年同期比0.4%減となる中で、生産アウトソース・直販というビジネスモデルを武器に容赦のない価格攻勢を続ける業界トップのデルが対前年同期比19.4%増の出荷台数を記録し、市場シェアも1年間で約5%伸ばして28.4%を獲得するという一人勝ちの状態にある。(そのデルにしても、11-1月期の売上高で見ると対前年同期比マイナスであるが。)パソコンにおける「負け組」のHPとコンパックが合併によって活路を見出そうとするといった動きが出てくるわけである。


表3 2002年第1四半期の米国市場におけるPC出荷台数
企業名 4Q01(千台) 4Q00(千台) 伸び率
Dell 3,013 2,524 19.4%
Compaq 1,280 1,473 △13.1%
HP 1,086 1,084 0.2%
Gateway 650 923 △29.6%
IBM 577 565 2.0%
その他 3,994 4,068 △1.8%
米国市場合計 10,600 10,637 △0.4%
(出展: IDC)


 こうした深刻なIT不況下で、米国のIT業界各社は、2001年に入って事業戦略の見直しに基づき大幅な人員削減や在庫圧縮などのコスト削減策を早急に進めたわけであるが、各社の四半期決算の動向を見ると、その効果が見え始めている。

 例えば、「IT投資バブル」の影響を大きく受けたネットワーク関連機器大手のシスコを見ると、同社の2000年8-10月期、11-1月期の売上高は対前年同期比でプラス50%を上回る高い伸びを達成し、売上高営業利益率も20%を超えていたが、2001年に入って売上が急減し、売上高営業利益率も1〜2%にまで急落した。そこで同社は、人員削減、過剰設備統合、組織改編などの対策を打ち出すとともに、2001年2-4月期決算ではリストラ関連費用や過剰在庫費用で30億ドル以上を計上するなど、バブルの清算に取り組んだ。その結果、直近の2001年11-1月期決算では、売上高営業利益率が15%を超えるまで持ち直している。(図2)



図2 2001年の売上高営業利益率の推移
2
(注)IBMについては売上高純利益率。
HP、Dell、Ciscoについては決算期は2-4月期、5-7月期、8-10月期、11-1月期。
(出展: 各社発表資料)

 もちろん、他社もそれぞれ、人員削減、生産のアウトソーシング、営業費用削減、在庫圧縮などの対策を早急に進めている。その結果、テロ事件という想定できないアクシデントの発生にもかかわらず、直近の四半期決算では、売上が引き続き低迷する中で、各社とも売上高営業利益率が前期比で着実に改善してきている。各社とも、IT投資の回復を待って反転攻勢に出る態勢を着々と整えつつあると見ることができるであろう。
 それでは以下、具体的な事例として、デル、HP及びIBMのリストラの動向について見てみることとしよう。


2.ケース・スタディ(その1) 〜 デル・コンピュータ・コーポレーション

(1) 企業プロフィール
 テキサス州Round Rockに本社を置くデル・コンピュータ・コーポレーションは、マイケル・デルによって1984年に設立された、コンピュータシステム・技術及びインターネットインフラの世界最大の直販業者である。マイケル・デルは、米国の主要コンピュータ企業のCEOの中で在職期間が最も長いCEOである。
 2001会計年度の売上高は319億ドルであるが、コンピュータ販売の約半分、技術的サポート業務の約半分、通常の取引の約四分の三がオンラインで行われる。 フルタイム従業員数はおよそ3万4,600人で、その大部分が米国で雇用されており、労働争議のための操業停止を一度も経験したことがない。
 2001年2月時点で、同社はオフィス、工場及び倉庫スペースとして合計およそ1,000万平方フィートを所有又は賃借しており、そのうちおよそ700万平方フィートが米国に、他の300万平方フィートが33の国に位置している。同社の主要なオフィスはテキサス州オースチンに、また米国内の製造拠点はテキサス州中央部及びテネシー州中部にある。

(2) 費用削減の第1ステップ
 1996年から1998まで、デルの株価は最高潮にあった。しかし、同社は2000年に、成長の遅いデスクトップPC市場からノートPCやサーバーなどの高収益分野にシフトしながら、3回にわたって販売目標を下方修正し、2000年の終わりまでに株価は66%下がった。2001年1月には、PCの値引きが期待されたほどの販売増につながらなかったとして第4四半期の収益と収入の見込みを下方修正した。

 費用削減のため、デルは新規雇用の凍結を開始し、マーケティング予算を減少させ、出張旅費を制限した。また、休日向けの一時雇い労働者の活用を縮小し、創設して4カ月のオンライン取引市場を閉鎖した。デルは直販で在庫を多く持たないため元々間接費用が低く、アナリストや投資家は、費用の8〜10%が削減されるだけであろうと予測した。
 デルは伝統的にバッファとして10〜30%の一時雇い労働者と契約社員を抱えており、通常は低操業期にはレイオフする。また、同社は通常2月に勤務評価に基づきフルタイム従業員の10%をレイオフする。しかし2001年は、これらの通常の雇用削減では不十分だった。あるアナリストは、販売量と他の費用削減策に基づき、デルは海外も含む全従業員の8%にあたるおよそ3,000人を解雇するだろうと予想した。
 同社のスポークスマンは雇用削減を計画していることを否定したが、同社の従業員は、会社が無条件解雇か2月中旬に始まる例年の勤務評価に基づくレイオフで最大4,000人を削減する準備をしていると信じていたという。

 同社が雇用削減を検討しているという噂から、3つの主要な株式市場インデックス−ダウ工業株30種平均、ナスダック総合、スタンダード・アンド・プアー500−がすべて下落し、同社の株価は2001年2月9日に2.56ドル(9.8%)下がって23.50ドルとなった。

(3) 最初のレイオフ
 1週間後の2001年2月15日、デルは全従業員のおよそ4%の削減を発表した。これによりRound Rockの本社及びオースチンの従業員2万2,000人のうち1,700人が影響を受けた。雇用削減はフルタイムの従業員に対し行われ、ほとんどが管理、マーケティング及び製品サポートの人員であった。また、デルは広告を統合するために全社的な見直しを始め、レイオフと施設統合に関する費用を賄うために1億500万ドルを捻出した。

 Adam Cohenの記事「Inside a layoff」(2001年4月16日付けタイム誌)によると、デルにおけるレイオフは、時として非常に冷たく場当たり的に行われたという。2月15日−同社では"D-Day"と呼ばれるようになった−、何人かの従業員が電子メールで目的を知らされずに会議に出席するように告げられた。会議に出席すると、彼らは景気減速のため帰休させられると知らされた。個々人には何の説明もなかった。また、他の従業員は出社すると上司から個人的にレイオフを言い渡された。
 従業員は直ちにすべての会社の資産とIDを引き渡すように要求された。テキサス州警察の警官がレイオフされた従業員を車に乗るまでエスコートした。従業員たちは、「賄賂」であると考えられる最大4週間までの退職手当上乗せと引き換えに、このパッケージについて議論したりデルを訴えたりしないという合意にサインするよう奨励された。
 同社は、できるだけ慈悲深くレイオフを行おうとしたと主張している。デルはレイオフされた従業員にボーナスを早期支給し、2カ月分の給料と保険料負担という退職手当を与え、ジョブ・カウンセリング料を支払った。

 解雇された従業員とその支援者の多くが、この雇用削減は不必要で、やり方がお粗末で、従業員は豊かなオプション・パッケージと大金持ちになる機会との引き換えに会社を成功させることなら何でもやるという非常に実力主義的なデルの企業文化とは対照的なものであると批判した。
 しかし、マイケル・デルは4月にタイム誌に対し、雇用削減は「リーダーとして最も困難ではらわたの引きちぎられるような決定の一つ」であり、軽々しく行ったものではないと語った。
 彼は、レイオフは過剰雇用によって自ら招いたものであることを認めた。デルは過去2年間だけで1万6,000人の従業員を雇っていた。

 レイオフに関する最大の苦情の一つは、デルは誰を解雇するか決して説明しなかったことだった。多くの従業員にとって、厳密な従業員業績評価システムが無視されるように見えた。
 帰休させられた従業員たちの中には、デルは年齢差別をして、より高齢で高給の従業員を狙い撃ちにしたと非難する者もいる。「残った奴らは会社を造った奴らじゃない。汗をかいたのは我々なのに、今や奴らがストック・オプションを得ている。」

 ミシガン大学ビジネス・スクールのKim Cameron教授は、大規模な雇用削減の費用対効果が高いかどうかには懐疑的だ。彼は従業員をレイオフした会社の生産性、利益率及び株主価値に関する1986年から1992年までの研究を示し、「多くのダウンサイジングは単に社外の人々、特にウォール街へのメッセージとして行われる」とタイム誌に述べている。例えば、デルの株価は雇用削減が発表された日に9%上昇した。デルの株価は2000年3月以来66%下がっており、デルに厳しい措置をとるよう求めていたのである。

 デルから解雇されたにもかかわらず、多くの元従業員は、同社に戻れるなら迷わず戻るという。タイム誌のAdam Cohenによると、ある元従業員は、「今まで働いた中で、あんなに良い所はなかった。戻れるなら二つ返事で戻るよ。」と語ったという。

 コスト削減と雇用削減は、明らかにデルを救った。
 レイオフにかかった費用は1億500万ドルで、そのうちおよそ5,000万ドルが退職者への手当、残りが施設閉鎖のための費用だった。2001年4月15日の時点で、実質的に退職者全員が会社と切り離され、退職手当に関する責任は一掃された。これによって、年間でおよそ1億ドルが浮くこととなった。
 こうして浮いた資金は、企業向け製品の販売台数や売上の成長を維持するための値引き、販売促進や研究開発に再投資された。デルは営業費用を予想される売上の成長に比例させて管理し続けた。利益を出しながら市場シェアを伸ばし続けるために必要な追加的な費用削減を行ったのである。
 調査会社ガートナー・データクエストによると、同社は2001年度の第1四半期に世界のPC市場でコンパック社を抜いてトップになった。

(4) レイオフの第2ラウンド
 2001年5月7日月曜日、デルは、PC価格の大幅値下げによる売上減を補って収益予想を達成するため、更に全従業員の8%に相当する3,000〜4,000人の従業員をレイオフする計画を発表した。また、従業員に無給休暇を取るよう求めた。
 従来と同様、雇用削減の大部分はテキサス州中央部で行われた。しかし今回は、雇用削減の一部は自然減であり、6カ月の間に実施されるものだった。
 雇用削減は販売、マーケティング、エンジニアリング、管理及びサポート・サービスで行われた。HP、サン・マイクロシステムズなどの企業が同様の計画を公表していた。
 Technology Business Research誌のアナリストBrooks Gray氏は、デルは間接費が少ないことで知られており、これ以上の雇用削減は販売やサービスに悪影響を及ぼすだろうと論評した。この懸念に対し、デルのスポークスマンは、直接顧客に対応する従業員は削減されないと反論した。

 デルは5月4日に終わる第1四半期については売上80億ドル、一株当たり収益17セントという予測を達成していた。レイオフと事業再構築のための費用2億5,000万〜3億5,000万ドルは第2四半期に計上された。

 Information Week誌によると、デルはまた製造拠点の統合を行い、テネシー州ナッシュビルの工場にすべてのノートPCの生産を移管しテキサス州Round RockのノートPC生産を停止した。

(5) 復活への道
 ブームが去った後のコンピュータ業界でリーダーに留まるため、デルはマージンの高いラップトップPC、データ蓄積用ワークステーション及びサーバーに焦点を絞った。デルの法人向け事業部(ワークステーション、サーバー及び記憶装置を扱う)は2001年度に55億ドルを売り上げた。これは同社の総売上の17%に過ぎないが、前年に比べ2%も増加している。

 ひところ、ビジネス界はUNIXが走る高級で高価な機種を好んだが、昨年はそうでもなかった。最も成長したのは、わずかにパワーが劣るが非常に安価なミッドレンジのサーバーで、何台かつないで一体として動かすことによって大型機と同等のパワーが得られた。
 1995年度と2001年度の第1四半期を比べると、デルは成長する法人向けミッドレンジ・サーバー市場でシェアを伸ばした唯一の企業であり、Gateway、 HP、 IBM、そしてコンパックを追い抜いて、年間売上高約400億ドル、28%の市場シェアを有するマーケット・リーダーになった。

 ラップトップについては、デル共同COOのKevin Rollinsは、「1台あたりの利益率と売上の両方に関して、ラップトップはデスクトップよりもはるかに大きい。マージンは20%から30%、場合によっては40%も大きい。」と言う。同社は、ラップトップ市場はあまり持ち運ばれない重くてフル機能の機種と、いつも出歩いている企業戦士のための超軽量機種の二つに分かれ始めていると見ており、その双方を視野に入れている。

 同社はその超効率的なサプライ・チェーンによっても競争力を得ている。在庫はわずか2、3日分で、多大なコスト競争力を実現している。同社はまた製造ラインを改革して新しい受注生産セル・システムへと洗練させており、PC価格の10%を占める組み立てコストを半減させている。
 「他社がPCを500ドル値下げするなら、我々は彼らほど損をせずにそれに追従できる。彼らのコスト構造は我々より50%〜70%も高い。したがって、本当の問題は、彼らがシェアを失っている間にコストを削減することができるかどうかだ。かなり難しいことだね。」とマイケル・デルは言う。

 デルは2001年度に約5億ドルを研究開発に費やし、2002年度には約7億ドルを費やす。マイケル・デルによると、同社は研究開発予算を年間の予算プロセスの一部として費用対効果分析と売上予測に基づいて設定するという非常に現実的な手法を取っている。
 また、彼は、同社はできる限り他社の技術に便乗すると言っている。デル傘下のベンチャー企業が、同社の製品ロードマップ(18カ月〜2年)を超える新しいコンセプト、技術、アイデアの開発、テストを担っている。同社は2001年時点で605の米国特許と512の米国特許出願中案件を有しており、一般に、インターネット、サービス、サーバー、記憶装置及び通信に関する新興の私企業に投資している。

 2002年については、デルはコンピュータ・ユーザー、特にY2K前の12カ月間にPCを購入したユーザーが、典型的な3年の製品買い換えサイクルに引き続き従ってくれることを当てにしている。


3.ケース・スタディ(その2) 〜 ヒューレット・パッカード

(1) 企業プロフィール
 1939年にウィリアム・ヒューレットとデヴィッド・パッカードによって設立され、カリフォルニア州Palo Altoに本社を置くHPは、計算・印刷・画像に関するソリューションやサービスを提供するグローバル企業である。HPの製品構成は、プリンタ・ハードウェア、画像、印刷用品、商業印刷の4つのカテゴリーから成る。
 2001年10月時点で、HPは全世界でおよそ8万6,200人の従業員を有し、事業用に約4,390万平方フィートのスペースを所有又は賃借している。販売及びサポート向けのおよそ1,590万平方フィートのうち580万平方フィート、製造、研究開発、倉庫及び管理向けのおよそ2,800万平方フィートのうち1,980万平方フィートが米国内にある。
 2001会計年度の売上高は452億ドルで、前年比7%の減だった。

(2) 1990年代後半の事業再構築
 HPは1990年代後半まで利益を出していたが、1996年に20%以上だった成長率は1997年には鈍化した。PCの価格低下による利益減少などから同社の株価の成長は株式市場全体の成長を下回り、製品の売り上げは伸びず、営業費用は急増した。アジアの財政危機、通貨の急激な変動、PCの価格競争もあって、1998年10月、同社は従業員2,500人を削減した。
 数カ月後の1999年3月に、HPは、利益向上のため同社を2つの会社に分割すると発表した。一方の会社がHPを名乗りコンピュータ及び画像ビジネスを保有し、もう一方の会社は検査・計測、部品、化学分析及び医療分野を含むこととされた。この会社分割ではレイオフは行われなかった。
カーリー・フィオリーナがCEOに選出され、1999年7月に新しいHPの社長となり、2000年9月に会長になった。もう一方の会社は2000年6月にAgilent Technologiesになった。

(3) 一層の事業再構築の兆候
 2000年10月に終了する2000会計年度に、HP経営陣は一層の人件費削減のため、米国の2,500人の従業員を対象にしたより充実した早期退職プログラムを承認し、およそ1,300人がそれに応じた。費用は計7,100万ドルで、退職手当1億ドルのうち2,900万ドルが年金や税金の減によって相殺された。他に様々なサイトの閉鎖のための費用として3,100万ドルがかかった。
 最初にその影響を受けた工場の一つがコロラド州Greeleyの工場で、2000年1月にHPは、スキャナ、テープドライブ及び光ジュークボックスを作っていた同工場を不動産統合計画の一部として閉鎖すると発表した。640人の従業員が、2,100人が既に働いている近くのコロラド州Fort Collinsの工場に移され、別の165人にはHPのテープ記憶装置を製造しているFlextronics International社の職が用意された。

(4) 経済の変化(2001年1月〜)
 HPは2000年12月に増益を記録しコンピュータ価格を値引きしたが、2001年1月には、 経済状況の悪化と技術的支出の削減から利益は予想以上に減少しているとの警告を発表した。カーリー・フィオリーナは、12月の受注が非常に少なかったことに驚き、「率直に言って、誰かが突然灯を消しちゃったようだったわ。」と語っている。
 この日HPの株価はニューヨーク証券取引所でこの発表前に63セント上がって32.38ドルをつけていたが、発表後に30.63ドルまで値を下げた。3つの主要な株式市場インデックスも揃って下落した。

 経済状況の悪化に伴い、HPは1月下旬に、販売とマーケティングの人員およそ1,770人(全従業員の2%)を2001年4月末までに削減すると発表した。4月になって、同社は再び収益予測を下方修正し、追加的に3,000人の従業員を管理部門から数カ月かけて削減すると発表した。HPの株価はこの発表を受けて2.65ドル(9%以上)上昇し31.90ドルをつけた。

 2001年5月、HPは第2四半期の収益が66%減少したと発表し、6月には従業員に対し、経費削減のため自発的な給与カットか7月から10月の間での追加的な有給休暇の消化を求めた。伝えられるところによれば、従業員に与えられた選択肢は、10%の給与カット、8日分の有給休暇消化、5%の給与カットと4日分の有給休暇消化、の3つだったという。義務的な有給休暇消化は、2001年度に有給休暇を残していない従業員には適用されない。従業員が消化していない有給休暇は、レイオフや自主退職の際に会社が買い戻すことになるため、HPの会計上は負債として扱われる。カーリー・フィオリーナ自身、経費削減のため62万5,000ドルの年間ボーナスを受け取らなかった。こうした経費削減の結局、第4四半期には経費が13%減少した。

 7月、HPは再び、それまでの4,700人に加えて更に6,000人の雇用削減を発表するとともに、第3四半期の売上が予想を下回る見通しだとの警告を発表した。カーリー・フィオリーナは、 対消費者部門の売上は価格競争のため24%減少するだろうと述べ、HPの株価は7%近く下落した。レイオフによって年間5億ドルが節約できると予想された。HPは雇用を削減する一方で重点分野で雇用を増やしていたため、同社の従業員数は2001年初頭の9万人から年央には9万3,000人へと増えていた。HPのスポークスマンによると、今回の雇用削減によって従業員数は年初に比べ4.4%減のおよそ8万6,000人になるという。HPは2001年に、経費削減、マーケティングの統合、昇給の延期・抑制とボーナスの支給見合わせによって10億ドルを節約した。
 フィオリーナは、同社の勤務評価制度の復活の結果、最低ランクの従業員の18%が同社を去ったと述べた。「残るべき人が残り、去るべき人が去った。」

 あるアナリストは、HPの抱える大きな財務上の問題は、その利益の大部分がマージンの高いプリンタ用インクカートリッジから得られていることだと指摘する。現在のプリンタの販売不振は、将来のインクカートリッジ販売の減少による利益の減少と読み替えることができる。
 別のアナリストは、HPの抱える問題の多くは外部環境で説明できるが、フィオリーナが1999年にHPを引き継いだ後に実施した、83の事業ユニットを4つに統合するという大規模な組織再編計画が、同社のような大企業にしてはあまりにも性急過ぎた面もあったと指摘する。「少し大掛かり過ぎ、少し性急過ぎた。それは間違ったやり方であり、今そのつけが回ってきているように思える。」

 同社は2001年度に事業再構築のため3億8,400万ドルの経費をかけた。これは、海外も含めた多くの地域、業務機能、職務階層にまたがるおよそ7,500人の従業員の退職に関わる手当と、過剰施設の統合に関する経費から成る。2001年10月31日時点で、5,700人が退職し2億3,800万ドルがかかった。同社はまた、2000年度に生じていた事業再構築のための経費2,600万ドルを2001年度に支払った。

(5) HP-コンパック合併
 2001年9月、HPは250億ドルでコンパック・コンピュータ社を買収することを発表した。両社はPC販売で苦戦しており、製品ラインナップには重複が大きく統合の余地がある。合併には独占禁止法上の懸念や大規模統合に伴う困難といったリスクが伴うが、コンパック会長兼CEOのマイケル・カペラスは、悲惨な事業環境が合併にとってはむしろ良い方に出るだろうと語った。株式交換によって、PC、サーバー、プリンタ及びハイテク・サービスを提供する総売上高870億ドルの巨大企業が誕生することになる。

 コンパックとHPは、世界のPC販売では2位と4位であるが、合計するとトップのデルをしのぐ。また、世界のサーバー販売では、コンパックが1位でHPが4位である。
 しかし、投資家やアナリストたちは合併には懐疑的であり、合併発表後に両社の株価はともに下落した。両社が期待されるほどの大きなコスト削減を達成できるかどうかわからないし、売上が落ち込んでいる最中に重複製品を整理しながら市場シェアを維持することも難しいのではないか、ということである。

 HPとコンパックは、合併によって2003年までに24億ドルが節約されるとしているが、これはそう簡単ではないとの見方もある。両社はたくさんの製品ラインナップを有しているが、顧客は自分が持っている製品が打ち切りになるのを好まない。
 もっとも、両ブランドの販売店にとっては、製品とサポートが改善されるので助けになるだろうとの見方もある。「製品の観点からは、合併は理解できる。」
 両社のスポークスマンは、現時点では個人向けコンピュータ関連製品で合併の影響で打ち切りになるものはなく、仮にそうなったとしても、一般的にはその製品が打ち切られてから数ヶ月はサポートを受けられる、と言っている。

 HPとコンパックの合併に伴う様々な変化は、従業員にも影響を与えそうである。あるアナリストは、「合併に伴い通常レイオフが行われるので、何らかの事業が廃止されるかもしれない。」と言う。統合後の従業員数は1万5,000人程度削減されて13万5,000人程度になるかもしれない。

 HPは10の主要な目標に焦点を合わせている。

  1. 社内のITと管理用のインフラを統合・合理化する。
  2. 製造事業部門を統合する。
  3. 製品ラインナップを結合する。
  4. 我々の能力を効果的に宣伝するため販売とマーケティングを調整する。
  5. 新製品や新技術を低コストで導入できるよう研究開発活動を調整・合理化する。
  6. 流通、マーケティングその他の重要な取引関係を維持し、潜在的に起こりうる軋轢を解決する。
  7. 事業に関し継続する懸念から経営陣の注意がそれることを最小にする。
  8. 従業員を事業文化が合わせられると説得し、従業員の士気を維持して、主要な従業員を留まらせる。
  9. 海外の事業活動、取引関係及び施設を調整・結合する。(ローカルな法律や規則によって追加的制約を受けるかもしれない。)
  10. 統合は他の独立した組織改革の完了後直ちに又はそれと並行して実施する。
 HPの2001年度における研究開発支出は27億ドルだった。


4.ケース・スタディ(その3) 〜 インターナショナル・ビジネス・マシーンズ

(1) 会社プロフィール
 IBMは、元々1911年にComputing-Tabulating-Recording社として設立された、世界最大のコンピュータ企業であり、マイクロソフトに次ぐソフトウェアメーカーであり、米国における最大の製造業者の一つである。IBMは、先進的なITを活用して顧客にソリューションを提供する。同社のハードウェア製品部門は技術、個人向けシステム及び企業向けシステムの3つから成り、その他の主要事業はグローバル・サービス部門、ソフトウェア部門、グローバル・ファイナンス部門及び事業投資部門から成る。
 IBMの2001会計年度における売上高は884億ドルであるが、同社は世界150以上の国で事業を行っており、米国以外でその総売上高の半分以上を得ている。
 同社は米国で製造及び開発向けに4,030万平方フィートを所有又は賃借しており、他の15カ国合計で1,500万平方フィートを所有又は賃借している。
 同社の海外も含めた従業員数は31万6,000人以上である。

(2) 景気後退に強いIBM
 IBMは、2000年の第4四半期に、過去最高の売上高と1株当たり利益を計上した。2001年の同社の年次報告によると、これは過去数年間にわたって採用してきた戦略の結果もたらされた。
 IBMも他の米国企業と同様、2001年の景気後退の影響を受けたが、IBMの顧客であるグローバルな大企業は、同社のサービスを引き続き利用した。さらに、同社は2001年の景気後退以前から事業再構築のための方針や戦略を実施していたため、他社よりも景気後退への準備ができていたのである。

 米国が1991年に始まる好景気を享受する中で、IBMは財務的な苦境に陥っていた。1980年代半ばから後半には、同社の巨大な組織構造が変化の早いハイテク経済に対応できなくなっていることが明らかになっていた。同社は1991年に始めての損失28億ドルを計上し、1996年までに大規模な事業再構築によって財務を健全化させた。
 デルやHPがITブーム終了後に大きなオーバーホールを行ったのとは対照的に、IBMは1990年代中にオーバーホールを行い、その後数年間は単にそれを微調整したに過ぎない。

(3) 従業員との新しい関係
 1990年代初頭、IBMは、40万人以上の従業員を有し、「終身雇用」政策をとり従業員を一度もレイオフしたことがないことで有名だった。しかし、同社は財務を安定させるため、1990年に条件の良い早期退職パッケージを導入した。
 IBMは、退職する従業員に1年分までの手当てと1年分までの健康保険給付を支払い、新しい職を探す従業員にカウンセリングを行い、さらに職業再訓練のために一人当たり2,500ドルまで支払った。同社の従業員は、このような条件の良い退職パッケージが会社から提示されるのはこれが最後だろうと思っていたため、予想以上に多くの従業員がこのパッケージを受け入れたという。
 1990年から1993年にかけて、IBMは早期退職パッケージによっておよそ10万人の従業員を削減した。こうした経費削減策によって、収益は1991年から1993年までの間でおよそ115億ドル減少したが、ダウンサイジングの結果、1992年だけで40億ドルの節約になった。

 あるアナリストは言う。「従業員をレイオフしなければならないとしたら、それを自主退職の形で行うのは間違っている。自主退職が危険なのは、他で仕事を見つけることのできる優秀な従業員がやめ、優秀でない従業員が残ってしまうからだ。もし従業員が多過ぎ、多くの従業員が働いていないのであれば、働いていない従業員にやめてもらわなければならない。」

 1990年から1993年初めのIBMの早期退職パッケージは、従業員一人あたりおよそ12万ドルかかった。ルー・ガースナーが1993年3月にIBMを引き継ぐと、彼は退職パッケージを最大26週間の手当てと最大6カ月の健康保険給付に縮小した。
 IBMはまた、1993年に研究開発費を10億ドル削減し、重点をメインフレーム・コンピュータからより成長の速いソフトウェアとコンピュータ・サービスへと移した。また、株主配当も削減した。

 1994年には、IBMはさらに3万5,000人の従業員を削減し、同社の従業員数は約22万5,000人になった。この雇用削減は、主に製造部門と海外事業部門で行われた。同社はまた、世界的なPC事業部門を再構築してノースカロライナ州のリサーチ・トライアングル・パークに集約した。1996年にも追加的な雇用削減が行われた。
 IBMは1996年にやっと財務を安定させた。残っている従業員へのインセンティブとして、同社はボーナスを平均8%増加させた。

 1990年代後半の雇用の変化を踏まえ、IBMは1999年に年金制度を変えた。伝統的な制度は、お金がかかるうえ、減る一方の長期雇用者に有利な制度であった。IBMによって採用された収支均衡型の新しい制度は、勤務年数ではなく給与に基づき年金支給額を決める制度であり、もはや愛社精神に報いるものではなく、より頻繁に職を変える従業員に好まれるものだった。IBMが収支均衡型制度を導入した当初、同社で長期間働いてきた年配の従業員に配慮する規定は設けられなかったため、彼らの年金額は20〜30%減少すると見込まれた。その後の闘争を経て、また組合化への脅威から、IBMは結局、勤続10年間以上の従業員に従来型と新しい収支均衡型の制度のどちらかを選択させることとした。伝えられるところによれば、収支均衡型の年金制度への変更によって年間2億ドルが節約された。
 IBMは、1999年に年金制度の変更以外にも、福利厚生を削減し、一定割合の従業員の昇給を停止し、休日出勤の際の賃金割増を廃止し、また長期の派遣労働者の活用を増やした。

(4) 取引先との新しい関係、事業統合、及び周期的なレイオフ
 IBMはまた1990年代に、顧客やサプライヤとの関係を急激に変え、事業戦略を変更し、事業部門を統合して、最終的には2001年の景気後退以前に従業員のレイオフを行った。

 1993年から1995年にかけて、IBMは顧客からの懸念を踏まえ、顧客との関係を見直した。販売とマーケティングを地域割りではなく業種別にし、従業員をジェネラリストではなく業種別のエキスパートとして訓練するようにした。

 IBMはまた1995年、サプライヤとの関係改善のため、倫理と事業行為、品質管理、電子商取引の能力、戦略的な関係構築、技術的リーダーシップなどサプライ・チェーン関連12項目に関する年2回の調査を開始した。1995年の調査では、多くのサプライヤがIBMをつきあいにくく、厄介な官僚的プロセスを持っていると思っていることがわかった。彼らは、調達担当の技術者、マネージャー及び幹部はスケジュール設定や技術的事項についてオープンに話し合いたがらず、「親密な関係を好まず、交渉のテーブルをはさんで以外はサプライヤと対話したがらない」という不満を持っていた。
 そこでIBMは、契約のプロセスと文書を見直し、それまで40〜80ページあった契約書を4〜6ページにした。同社はまた、サプライヤとの間で技術的ロードマップを再検討しIBMの製品計画に関する情報を共有するための技術センターを設立するとともに、サプライヤの不満を聞く部署も設置した。

 1999年夏、IBMは記憶装置部門をメキシコ、ハンガリー及び日本に移管し、カリフォルニア州北部の従業員およそ1,100人を削減した。従業員の一部は成長の速いサービス事業など同社の他の部署に採用された。テープ・ドライブ組立部門など他の製造事業部門もより人件費の安い国に移管された。
 社内で新しい職場に採用されなかった従業員には、勤続6カ月につき1週間分、最大26週間分までの手当てが支払われた。

 また、IBMは1999年に、大規模ユーザーに長期間の同一モデル供給を保障するPC Lifecycle Careと呼ばれるイニシアチブを発表し、一方で、デルを倣ってインターネットによるPCの直接販売を強化した。IBMは消費者向けPC部門を法人向けPC部門と統合しようとしていた。
 この直販モデルの導入により、1999年秋に同社PC部門の主にマーケティング関連の従業員約1,000人が削減された。これは同部門の従業員1万人の10%に相当した。
 この事業再構築の影響を被った従業員(管理職と一般従業員の両方を含んだ)は、数週間前に通告され、勤続6カ月につき1週間分の手当て、キャリア・カウンセリング及び6カ月の健康保険給付を受け取った。

 1999年12月にIBMは、ミッドレンジのサーバーの販売不振から、サーバー部門の従業員2,000人を削減した。そのうち1,200人が北米のマーケティング担当であった。

 2001年の最初の数カ月間に、IBMは高成長部門向けに1万人の新規採用を行った。しかし、同社は雇用を技能と必要性に見合ったものに維持した。
 同社は2001年7月にはグローバル・サービス部門の従業員1,500人を削減したが、同社がウォール・ストリート・ジャーナルに語ったところによると、この削減は顧客の要求が変化したことに対応したものであり、事業不振が原因ではないという。
 グローバル・サービス部門は、コンサルティングとアウトソーシングを担当する高成長部門で、およそ15万人の従業員を抱えており、そのおよそ半数が米国の従業員であった。上記の削減は米国内の様々な場所で行われ、従業員は30日以内に社内の他の部門で仕事を見つけることができなければ、手当てをもらって退職することになった。
 しかし、IBMのスポークスマンによると、会社全体では引き続き採用を続けており、2001年末の全従業員数は年初を上回るという。

 2001年11月下旬、IBMはマイクロプロセッサ業界の景気低迷により、全米7カ所のチップ製造開発工場で従業員1,000人を削減し、同社マイクロエレクトロニクス部門の従業員数を2万1,500人からおよそ2万500人まで減少させる計画を発表した。

(5) IBMのダウンサイジングの影響を受けた2つの町
 IBMにおけるレイオフの影響を受けた地域は、それが米国経済全体は好調だった1990年代だったという点でまだ幸運だった。こうした地域は、景気後退が始まった2001年までには小規模なレイオフには対処できるようになっていた。

 IBMのレイオフの影響を受けた町の一つが、インディアナポリスの西にある人口9,000人の町Greencastleだった。Greencastleは、日本企業や日米合弁企業など7社の新会社を誘致し、雇用創出で大きな成功を収めた。しかし、Wal-Martの流通センター、Fashion Bugの婦人服流通センター、塗装店や自動車販売会社といった新会社の給与はIBMよりも低く、町の職はIBMがいた時の2倍以上になったが、平均給与1万7,971ドルはIBMの平均給与の半分以下だった。IBMの従業員は皆、移転して会社に留まることもできたが、40代後半から50代半ばのマネージャーの中には、条件の良い早期退職パッケージを受け取って故郷に留まることを選んだ者もいた。

 ミネソタ州Rochesterも、IBMのダウンサイジングによって深刻な影響を受けた。1993年から2001年にかけて、IBMはRochester工場の従業員7,600人のおよそ30%を削減した。大規模な削減は1993年に行われ、700人のフルタイム従業員(製造工、エンジニア、管理者を含む)と1,200人の一時雇い労働者が削減された。フルタイムの従業員は含まれた生産労働者、 技術者、 およびマネージャーに影響した。フルタイム従業員には、1) カリフォルニア州に移転する; 2) Rochester工場で別の仕事を探す; 3) インセンティブを受け取って自主退職する; 4) レイオフされる; の4つの選択肢が与えられた。一時雇い労働者は、組立てラインでの生産、部品保管及び検査設備部門に移され、選択の余地はなかった。

 自主退職のプログラムは、雇用削減の影響を受けない従業員が利用することもでき、これによって他のレイオフされた従業員がRochesterで仕事を見つける機会が増えた。

 こうした選択肢があったにもかかわらず、特に最初の大規模な雇用削減が1993年に行われた時、従業員はうろたえた。「我々は、もうけが出ている限りは大丈夫だと言われ、それを信じてきた。それなのに、突然そのルールが変わったんだとつっけんどんに言われたんだ。」 Rochester工場の操業は数年間非常に安定していたので、事情を理解するのは難しかった。
 しかし、ある従業員は言う。「会社も打つ手が無くなってきている。1年後には、IBMに残る望みもなく単にレイオフされるだけということになってしまいそうだ。」

 Olmsted-Rochester Office of PlanningのPhil Wheeler所長は、以下のような様々な理由から、地域経済がIBMのダウンサイジングによって受けた影響は緩和されたと言う。


  1. 雇用削減は段階的に数ヶ月かけて行われ、レイオフされる人々は地域経済がそれに適応することができた。
  2. 早期退職の大きな手当ては、IBMを去った人々の打撃をやわらげた。
  3. IBMの従業員の7人に1人は他地域から通勤してくる人々だったため、波及効果が地域を超えて広がり、Rochester地域に集中しなかった。
  4. Rochesterの女性人口の84%が働いており、夫婦の一方がIBMを去ってももう一方にはまだ仕事があった。
  5. 結婚しているIBMの従業員が町を去れば、少なくとも1人分の仕事に空きができた。

おわりに

 雇用は難しい。
 昨今のIT不況下における日米の主要企業の対応を見ていると、もちろん各社とも事業再構築に向け必死の努力を行っているのだが、雇用調整のスピードの違いから、どうしても米国企業の方がより迅速にバブル清算を行っているように見えてしまう。しかし、日米では雇用システムや雇用環境、企業と投資家との関係など様々な点で相違があり、今回ケース・スタディで取り上げた各社が行ったやり方をそのまま日本に適用できるわけではない。
 今回のIBMに関するケース・スタディからもわかるように、米国だって昔から雇用が流動化していたわけではなく、現在のような雇用システムは主に1980年代の大不況を経て出来上がってきたものであるし、また同じIT関連企業である3社を比べて見ても、雇用調整のやり方は少しずつ異なっている。
 結局、雇用調整に「絶対」はなく、各企業がそれぞれの経営理念に照らし最適の方策を模索するしかないのであろう。米国企業だって、レイオフを繰り返せば従業員のモラルは低下し結局は自分の首を絞めることになるという状況の中で、試行錯誤しているのである。
 最低限言えるのは、そうした各企業の苦渋の選択の結果としての雇用の流動化に対して、年金などの諸制度が阻害要因になってはならないということであろう。

 既に読まれた方も多いと思う(まだであれば是非一読をお勧めする)が、エリヤフ・ゴールドラット博士著の「ザ・ゴール2」の最後の部分で、博士は企業の株主価値(=企業利益)、従業員価値(=雇用環境)、市場価値(=安価で優れた製品・サービスと企業倫理)を同時にすべて実現するためのアイデアの一端を披露している。
 雇用調整の問題をはじめ各企業が直面している問題は、これら3つを同時にすべて実現することが現実的には至難の業であるが故の問題であろう。
 そうした意味で、今回のケース・スタディで取り上げたデルは、従業員に大きな満足度を与えていることからすれば、これら3つを同時に実現している理想的な企業であると言えるのかもしれない。(毎年勤務評価で10%をレイオフするという徹底した実力主義には恐れ入るし、それでレイオフされてもなおチャンスがあれば再び同社で働きたいという従業員にも敬服する。)
 しかし、見方を変えれば、デルの一人勝ちは米国のデスクトップPC製造の空洞化を加速させたわけであり、深刻な空洞化の懸念が強まる日本の置かれた現状を考えると、誰もがデルのような企業を目指せば良いという単純なことだけでは済まないだろう。
本当に雇用は難しい。
(了)

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