トップページ > ディスプレイデバイス部会の活動 > 竹村真一先生インタビュー(教育とディスプレイの将来)

「教育とディスプレイの将来」について京都造形芸術大学教授 
竹村真一先生にお伺いしました(2015年7月22日(火)於日本
ビル6階「3×3 Labo」)

ディスプレイTTプロジェクトの教育用ディスプレイ調査事業の一環として、文化人類学者であり、また自ら実験的なメディア・プロジェクトを数多く手がけられている京都造形芸術大学教授 竹村真一先生に「教育とディスプレイの将来」に関するインタビューを行いました。

インタビューで竹村先生は、教育に関して、学校における教育や教師と生徒との関係性の変化に言及されています。
「誰でも情報にアクセスできるようになって、先生から教えてもらう必要がなくなる。しかしそれを、○○くんは、○○さんは、どう解釈して、どう意味付けるのか、そこから何を発想するのか。そういったコンテクストをつくっていくことにこそ教育の価値や意味が生まれてくる。学校は、有機的な形でシナジーを起こしていくような空間として、アナログに教師や生徒、そして教育ボランティアが集まって何かをやる『共創』的な場になる。」とお話いただきました。
また、教育用ディスプレイの新たな可能性として、生徒が自主的に学習に興味を持つようになるには、「学びの気づき」が必要になるとし、その例として「学校の水道の蛇口の近くにディスプレイを置き、取水場から浄水場を経て、学校の蛇口に至る過程を見せる」というアイデアを示されました。気づくことから自発的な学習が生まれるという考え方を「センスウェア」と呼び、教育の場やコミュニティの中に、そのような「学びの気づき」としてのセンスウェアを数多く置くことを提唱されました。

 インタビューで竹村先生は、次のキーワードを挙げられました。

【教育について】
■キーワード:共創の場としての学校
 いろいろな人が情報にアクセスできるようになって、先生から教えてもらう必要が少なくなると、逆に更に大事になるのはコンテクスト。テキストについてはみんなが説明できるが、そこからどのような意味を引き出すかというのは、人それぞれの違いがあり、コンテクストにこそ価値や意味が生まれてくる。学校教育の現場は、みんなが集まって何かをやる「共創」的な活動につながるようになる。学校教育の場の意味というのは、かえって際立っていく。

■キーワード:体験の重要さ
 私が構想しているユビキタスミュージアムでは、地球上のすべての空間・風景が生きた図書館になり、生きた博物館になる。現場でいろいろなことをブラウジングすることが、教育的に一番効果がある。

【ディスプレイについて】
■キーワード:ユビキタスなディスプレイ
 今までは情報機器の制約により、自分が「情報を得たい」、あるいはそれを文字通り「ディスプレイしたい」と思うところに情報の表示がなく、分離している物と情報を繋げる不便さがあった。今はそれがもう少しユビキタスになり得る可能性が出てきている。
 例えばコラム記事があれば、そのテキストの背景に膨大なコンテクストがある。アイコンにスマホをかざすと、登場人物の顔や数分間のビデオクリップが出てきて、それによって登場人物や現地のコンテクストを立体化して表示することができる。今はまだスマホというディスプレイを使っているが、もっと発展して机とか紙媒体など物と統合すると、今までのアナログな空間の物や環境とディスプレイが分離しない形で、もっとダイナミックに連携して、統合されていく。私たちの身体経験とディスプレイのあり方が、もっとダイナミックに連動していくことを考えなければならない。

■キーワード:インタラクティビティの拡張
 クリエイティブな仕事をしている人はみんなそうだと思うが、結局、与えられる情報というのはミニマムなもの。そこに対して、自分が何を付け加えていくか、あるいはいろいろな人たちの集合知が、そこにどうダイナミックに連携・集合していけるか。そういうことを許容できるような「共創の場」としての空間性が担保されているかが問題になってくる。そういう意味では、現時点のインタラクティビティを、もう少しアナログな空間の自由さを基準に、どう拡張していけるかがポイントとなる。
 今のデジタルディスプレイは、そういう共創の場になり得ない状態で、まだ留まっている。アナログな共創空間が提供してくれるような、ダイナミックなインタラクティビティを担保できるようなディスプレイ空間を発想していくということが必要。
 これからはむしろITは人間の生活を便利にしていくという理念ではなく、人間の脳や体の持っている可能性を、もっと包括的に開発していく方に拡張することを考えるべき。今、物のインターネットとか、3Dディスプレイとか言われているが、結局、素材と対話して、どれだけの情報を引き出し、それを美学的にも工学的にも非常に完成度の高いものにするといった奥深い伝統を持っている日本のカルチャーの中で、次のポストITといったものが生まれてくるのは必然だと思う。他方、今の米国のIoTや3Dディスプレイが世界を席巻することは、人類としては大変な後退だと思う。
 若い人たちは、人間のポテンシャルや伸び代を発展させてくれるものが人間を生き生きとさせるものだということを敏感に感じていて、農業に対する関心などもその現れだと思う。例えば、機械で野菜の状態をセンシングして、より効率的な農業を目指すというのは、それはそれでいいが、それだけではなく、やはり人間が土や植物ともっと深く対話していくための媒介みたいなことをやらなければ、人間のやるべきことを代替していくという方向ばかりだと、結局、人類の発展に向けては先細りになるのではないかと危惧している。

ディスプレイTTプロジェクトでは、教育とディスプレイの将来について竹村先生を含めて10名の識者の方々にお話を伺いました。さらに、小中高校生、先生の方々とワークショップを開き、ご意見をいただきました。それらを元に、「教育用ディスプレイの将来ビジョン」を策定しており、近々公開を予定しています。

<竹村真一先生プロフィール>
1959年生まれ。東京大学大学院文化人類学博士課程修了。現在、京都造形芸術大学教授。生命科学や地球学を踏まえた新たな「人間学」を構想するかたわら、独自の情報社会論を展開。ウェブ作品「センソリウム」や「触れる地球」、地域情報システム「どこでも博物館」など、自ら実験的なメディア・プロジェクトを数多く手がける。近著に「地球の目線」「宇宙樹」「地球を聴く」(坂本龍一氏との共著)など。

ページの先頭へ戻る